ハプスブルク家3 フリードリッヒ3世

引続き、ハプスブルク家を勉強してみる。

 

今回は、フリードリッヒ3世だ。

彼が、ハプスブルク家で初めて神聖ローマ帝国

皇帝になったらしい。

だから、ハプスブルク家の繁栄に大きく寄与した

と言える。

 

だが、彼の評判は必ずしも優秀でない。

 

彼の良かったところは、長生きと優秀な息子のおかげであるという。

 

長生きであった彼は、ライバルたちが勝手に死んでいったため気づけば敵はいなかった。また、息子の嫁がブルゴーニュ公国シャルル大胆公の娘マリアだったが、大胆公が没落したのち、遺領ネーデルラント(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランス北部あたり)がハプスブルク家の土地となった。これが大きい。後の経済的基盤となった。

 

さて、次回は、フリードリッヒ3世の優秀な息子、マクシミリアン1世の話となるだろう。

 

とにかく、神聖ローマ帝国ハプスブルク家の図式はこのフリードリッヒ3世のことに始まる。1508年からのことである。日本では、戦国時代初期頃か。斎藤道三北条早雲などが活躍していたころ。信玄・謙信はまだ少年。信長・秀吉・家康なんかまだ生まれていない。そんなころかな。